ご高齢者こそ正しい咬み合わせを

執筆者
神奈川県歯科医師会・横浜市歯科医師会会員 弥郡彰彦

左右の奥歯で咬めていますか?

歯科医院で聞かれることがありますよね?「奥歯でしっかり咬めていますか?」「右と左の両方で咬めていますか?」あるいは「外出時以外も入れ歯は着けていらっしゃいますか?」

実はこれはとても大切なことなので、このように頻繫に聞いてくれる歯医者さんはとても優しい先生と言ってもよいかもしれません。

養生訓

人生100年時代。どなたでもいつまでも健康で長生きしたい気持ちは変わりません。貝原益軒の養生訓(1977)は具体的な養生の指南書として有名です。江戸時代つまり約300年前、言わば人生50年時代に84歳まで生きた彼が、亡くなる3年前に書いたものですが、心身ともに健康に過ごすための実践的な教えが丁寧に書かれており、健康のノウハウ本を超えて、「人としてどう生きるべきかどう在るべきか」が示されています。

また、岸信介元内閣総理大臣の養生訓をご存じでしょうか。安倍晋三元首相のお爺さんにあたる岸信介元首相は90歳の長寿を全うされたことでも知られています。そんな彼がある席で、長生きの秘訣について「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」であったと言われており、これが岸信介の養生訓と言われています。

「風邪ひくな」‥普段のちょっとしたゆるみからかかりやすい病気とも云われていますね。昔から万病の元といわれるように、油断できない病気です。

「義理を欠け」‥人付き合いはとても大切ですが、義理で付き合うと無茶なことをしてしまうことがあるから気をつけろ。自分の体調不良の時は遠慮せず欠席しましょうという意味かと思います。

少し不調な時でも、酒の席となりますと勧められるとついつい調子に乗ってお酒も進んでしまいがちですよね。

転倒予防

さて「転ぶな」‥ですが、転倒事故は、特に高齢者の場合、そのまま寝たきりとなるケースが少なくありませんし、命取りにもなりかねません。歯科の立場から申し上げると、咬み合わせが悪いと転倒リスクが高くなることがわかっています。その理由は以下にお示しする通りです。

かみあわせが悪いと

1顎や頭部の位置が不安定になり、体全体のバランスが崩れやすく転倒のリスクが高まります。

2咀嚼筋や他の筋肉に過剰な負担がかかり、全身の筋肉バランスが崩れます。これが原因で踏ん張りが効かなくなり、転倒しやすくなります。

3咀嚼神経を通じて足の筋肉に信号が伝わり、力が発揮されます。しかし、咬み合わせが悪いとこの信号伝達がうまくいかず、体の安定性が低下します。

これらの要因が組み合わさることにより、咬み合わせが悪いと転倒しやすくなると考えられます。

実際には以下のような報告が散見されます。

歯がほとんどないのに義歯を使っていない方は、20歯以上の者に比べて、転倒するリスクが2.5倍高いことが示されたとの報告があります。

歯が19本以下で義歯をしていない人は、性別、年齢、要介護認定の有無やうつ症状の有無などに関わらず、転倒のリスクが高くなることが示されています、更に歯が19本以下でも義歯を入れることで、転倒のリスクを半分に抑制できる可能性も示されています。

別の報告として、デイケアを利用している虚弱高齢者(要支援 1,2)に対して、体力テストを実施したところ、転倒リスク因子として咬合力との関連が認められています。

いつまでも元気で寝たきりにならないために

65 歳以上の方がほぼ“寝たきり”に陥ってしまう原因は 1位 脳卒中、 2位 認知症、 3位 高齢による衰弱、 4位 骨折・転倒 、5位 関節疾患となっています。高齢者の転倒事故では、大腿骨の骨折や、ケガによる入院を経て寝たきりになってしまうケースがとても多いようです。また高齢者の場合「転んだあとに直ぐに起きあがれない」「転んだことを誰にも気づいてもらえない」というリスクも相まって命にかかわる事態にもなりかねません。つまり転倒を防ぐことは極めて重要なのです。

そのためには、先に述べた通り、咬み合わせがとても大切!ということです。

奥歯でしっかり咬むことができること。左右でバランスよく咬めること。そしてその咬み合わせを崩さないようにしっかりご自身の歯を保つこと、並びに正しく義歯を使用することが必要ですので、かかりつけ歯科医の先生に定期的に診てもらいましょう。

参考文献

・養生訓 貝原益軒 町田道雄訳 中央公論新書 (2024改版4刷)

・嚙み合わせの驚異 正井良夫 講談社BLUE BACKS 2000

・山下 裕 他 原著 転倒リスク指標としての咬合力評価の有用性 理学療法科学 31(2)2016

・8020健康長寿社会を目指して 日本歯科医師会雑誌  Vol65 2013

・山本龍生 歯科から考える転倒予防 日本転倒予防学会誌 Vol5 No1 2018

執筆者情報
弥郡彰彦
神奈川県歯科医師会・横浜市歯科医師会会員
ヤゴオリ歯科医院

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