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憩いのひろば
神奈川県歯科医師会の「憩いのひろば」
公益社団法人 神奈川県歯科医師会には、多彩な趣味を持った会員がいます。こちらの「憩いのひろば」では、そんな会員が手がけた作品の一部をご紹介しております。歯医者さんたちの「違う一面」を、ぜひお楽しみください。
一枚の絵
神奈川県下の歯科医師で構成される美術グループ「クアトロ会」の作品をご紹介します。
Vol.1510
- 「南仏の想い出」/矢島 初子会員
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窓辺に咲く花は、外からの光と外気の透明な風の音で遮られる。ガラス越しに見える景色は、四季の移り変わり、朝靄、まばゆいばかりの日差しの中、そして夕暮れの光の中でときどき神秘的な様相を呈することがある。
その瞬間にイメージをふくらませ、自然は時として魅力的なハーモニーを奏でることがある。野に咲く花、花壇に咲く花、バスケットや花瓶に飾られた花。それらは反射光とからみあい、陰にかくれて微妙に見えかくれする色の美しさに心打たれます。
印象的なさわやかな日に雲を見ているとゆったり時間が流れ、とても贅沢な時を過ごしているように思うことがある。そのような時間を私は大切にしたいし、絵を描く時間であってほしいと思う。
(著 本人)
Vol.1509
- 「リオ・デ・ジャネイロの海岸」/福並 郷子会員
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「スケッチは良いのに、油絵になるとどうしてこんなに固くなってしまうの?」と、諸先輩にいつも言われております。スケッチは大層気軽に楽しく描いているのですが、油絵になるとそうはいきません。ですから油絵も気楽に描こうと努力してみるのですが、いつの間にか気軽にはいかなくなってしまいます。
この「リオ・デ・ジャネイロの海岸」を描いたのは大分前ですが、現在これより下手になってはいても、上手くはなっていません。この海岸はスリが多いと注意されていましたので、ホテル出発の用意をはやく済ませて、お金は円もドルも、パスポートや安物のカメラまで仲の良い友人に預けて描いてきました。通りすがりの人たちが私の写生しているのをくれとか、どこのホテルに泊まっているのかとか聞いていましたが、そんなことにはろくに返事もせずに描きました。
現在は写生ではなく作品を描こうと思っているのですが、私の貧しい頭脳ではなかなかうまくいきません。
(著 本人)
Vol.1508
- 「ドゥブロヴニクへのアプローチ」/月岡 きね子会員
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アドリァ海沿岸の山と海の間に位置するドゥブロヴニクは、クロアチア最南端の都市として栄えている。城塞に囲まれているこの都市は中世の面影を残しており、1979年にはユネスコより世界遺産の指定を受けた。
ドゥブロヴニクにむかう道すがら、山並みの家には銃弾によって破られた窓がそのままになっており、こんな素晴らしい景観の地にも戦いの跡がかい間見られ、世界平和を願わずにはいられない。
今ではドゥブロヴニクより9km地点までは往来が許されていて、道端には梨の木が植えられ白い花が霞のように続き、ポツンポツンと小さな家には羊も飼われていた。道路ぎわに手製のチーズ(羊)と蜂蜜を置いた台があり、数少ない車のお客さんを待っている。こんなのんびりした田園風景にホットする一時もあった。車を止めてもらいチーズと蜂蜜を買いしめると、地元の人々がよろこぶ素朴な笑顔が印象的だった。
(著 本人)
Vol.1507
- 「裸婦座像」/金安 治子会員
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今まで人物を描く機会がなく、ぜひ描いてみたいと思っておりましたがなかなか時間の調整がつかず、やっと診療を早目に切りあげて、火曜日の朝日カルチャー「人物専科」に通い始めることができ約2年になります。
意欲はあるのですが基礎の勉強をしていない私としてはなかなか難しく、思うように描けない状態ですが、ご指導いただいている今井慎吾先生に初めてお褒めの言葉をいただけた一枚の絵です。
(著 本人)
Vol.1506
- 「霧笛橋」/渡辺 久美子会員
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この絵は、昨年「港の見える丘公園」で写生したものです。
この公園では、何回も描いていましたので、今までに描いていない場所と構図で描きたいと思い、あちこち歩きまわりました。暑い日でしたので、できるだけ木蔭でと思い探しましたがそう思うような場所がなく、結局この霧笛橋が緑の中に映える風景が美しかったので、日ざしの中で日焼け止めをつけ、つばの広い帽子をかぶり現地に3回行って描き上げました。
描いている間、公園を訪れた方たちがいろいろ声をかけてくださいました。自分も油絵を描いているという方、水彩をやっているという方、書をやっているという方、それぞれご自分の趣味の話や感想を話され、私も一緒に話しこんだりしながら楽しく描きました。いつも教室では人物が主ですので、年2回位のこの写生の時間は気持ちよく過ごせるうれしい時です。また、この公園に行って違った観点で描いてみたいものと思っています。
(著 本人)
Vol.1505
- 「爽夏」/佐藤 正会員
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昭和12年。小学6年生の夏休みから3年続けて、10日間の日程で河童橋の対岸の白樺林でキャンプ生活。麻布のテントは雨漏りするので、五千尺旅館左隣の緊急医療所に泊まり込みをも許されて。その中に一水会の甲斐仁代先生とお弟子さん方もおられ、晝間はお前も絵を描くのと褒められました。
河童橋下の底が見える水深は七米といわれ、氷水のように冷たい川辺で食器を洗いました。大正池の枯木の多数は瑠璃色で調和は美しく。焼岳の山頂からは今も瑪瑙の深みの色と目に浮かびます。神秘的な明神池への道幅は、下山の登山家たちには挨拶の声をかけ一米の狭道をゆずりました。
「爽夏」の田代池、昔は池も広く深く靜寂な池の畔りは、ゲートルを草露がぬらした思いを絵にかけました。
星空の月夜の上高地。青い空、白い雲、穂高連峯、樹々草の緑。上高地はすべて清澄でまぶしい想い出が浮かびます。今は一枚の葉、一個の石にも触れてはならぬ環境保護とすべて変わった上高地となりました。
(著 本人)
Vol.1502
- 「残雪の鹿島槍を望む」/北川 禮太郎会員
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この絵は信濃大町の街はずれ、鹿島川の川原に降りて、鹿島槍を描いたものです。
里はいまや春、北アの高山はまだ真冬。晴れていればかくも純白の峨々たる山頂を連ねているのです。
私はかねてこの双耳峰の鹿島槍を絵にしたいと思っていたのですが、チャンスはなかなかやって来ませんでした。数年に1回行けるか行けないか、それに天候に左右されますから。この時は全く快晴に恵まれたのです。2日3日のなか日。いやぁ良かったです。ぼーっとした前山の紫紺の山肌の上に切れんばかりの鋭い山稜を聳えさせている鹿島槍。まぁその素晴らしさに引きずられて筆をとったわけです。
スケッチの早描き透明水彩とガッシュの混合で約2時間、川原は暑いくらいで、小鳥の囀りを川柳の淡い黄色にむせびながらの至福の春の一刻でした。
(著 本人)
Vol.1501
- 「銀山温泉」/久和 総一郎会員
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山形線の大石田駅からバスに乗り、尾花沢の町を通りぬけ、東へ40分ほど走ると奥羽山脈の山懐にある銀山温泉に着きます。
この温泉街は急流の銀山川をはさんで三層四層の木造建築の宿が向かいあって並び建ち、川にはいくつもの橋が架かっていて風情のある温泉情緒をかもし出しています。
ここの宿の軒下には「旅館木戸佐左エ門」とか「旅館水沢平八」などと名前を書いた看板が沢山かけてあります。昔湯治宿はどこも主人の名前で呼ばれ、今もその名残を掲げているのが面白いのです
この街の両岸の道は幅がせまく車は入れないので、湯浴み客はのんびりと橋を渡ったり土産物屋をのぞいたりして歩いています。どこからともなく尾花沢の花笠音頭の囃子が聞こえてきます。とても楽しい温泉場です。
(著 本人)
Vol.1412
- 「銀嶺眺望」/川島 文雄会員
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5年前にスケッチ旅行ではじめて白馬に行きました。
この絵に見る風景は、他の画集などでよく見かけますが、昔はすべて藁葺きの家だったそうです。この時のスケッチでは強烈な印象を受けたのを覚えています。油彩の他に水彩でもスケッチしましたが、この絵にある川から水を汲んできて、その水で水彩絵の具を溶かそうと筆を動かすと、カサカサと音がして、溶かした絵の具と筆に、薄い氷がへばりついてしまうので驚きました。
宿泊は民宿のような家で、くさいストーブのにおいが気になりましたが、食事時の自家製の味噌汁と野沢菜の漬物の美味しかったこと、あの味は忘れることができません。
(著 本人)
Vol.1411
- 「風」/熊坂 和夫会員
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友人に誘われてヨット遊びをしていたとき。杉田沖あたりと思ったときに、突然右側を一艘のヨットが抜いていった。そのとき丁度その前を貨物船が左側から右側に通って行った。その構図が面白く感じられ、スナップを一枚撮りそれをもとにして、画いた一枚です。
この絵を見ていると、ここちよい海風とのんびりと遠くを見ていたことが思い出されて、なつかしく感じます。
(著 本人)
Vol.1410
- 「巣鴨地蔵通商店街」/関 幸一会員
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駅から15分くらいのところに巣鴨地蔵通商店街があります。ここは若者の原宿に対してお年寄りの格好の街とも云われています。東西に延びるこの商店街には洋服屋、食堂、おそば屋、お菓子屋さん等々お年寄りに適した店が軒を連ねています。
この通りの中央あたりに曹洞宗萬頂山高岩寺があります。今を去ること約400年前江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移り、区画整理のため当地(巣鴨町)に移転、今日に至っています。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られ、数々の霊験記がある延命地蔵菩薩であります。このお寺の前が地蔵通商店街で、普段でも人々で雑踏しています。
丁度私の行ったときは幸いにもややすいていたので、軽くスケッチすることができました。そのときの絵です。2回目に行ったときは豊島区制70周年、中山道400年記念等で境内には色々なイベントがあり、老若男女で大変込みあっていました。ほんのりとした温かい街です。
(著 本人)
Vol.1409
- 「オークランドの港」/森井 敏夫会員
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船がオークランドの港に着いたときに、港の眩いばかりの景観に目を奪われたものです。
オークランドはニュージーランド最大の都市で、商工業の海外貿易の中心地として栄え、近代的な高層ビルやビクトリア調の古い街並みが、見事に調和しています。港に面してメインストリートが通っている街は珍しく、独特の雰囲気をつくり出していました。
オセアニア特有の爽やかな空気が、日本の夏とは違ってまことに心地よいものでした。新旧の建物が調和して、時代を超えた美の対比を捉えるには、停泊した船上からの眺望が最高でした。この美の対比を繊細な光と陰に揺れる海面と共に描いてみたい意欲にかられました。
(著 本人)
Vol.1408
- 「下田港」/大竹 雅子会員
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私はここ数年、友人の住んでいる伊豆下田へ年に3~4回訪れる。ここは1854年黒船艦隊に乗ったペリー一行がイカリを降ろし、日本開国の舞台になり歴史が作られた所である。街並みを歩くと旧跡が多く、静かな空間に身を委ねていると日常の雑事がウソのようである。
またここは、伊豆七島への漁場の出入り港である。船に乗り波しぶきをあび沖に出ると、手を出せば取れそうな入道雲、ダイヤモンドを散らばしたような青く遠くに広がる地平線。何もかも自然の醸し出す美しさに、タメ息が出てしまう。詩人ゲーテは「空気と光と友人の愛、これだけ残っていれば落胆することはない」と言っている。この自然の中にいると不思議とそんな気分になる。
帰りの車中、ウトウトしながら目がさめると、現実の時間にもどされる。多すぎる休日は苦痛なのかもしれないが、下田はつい長居したくなる魅力の街である。
(著 本人)
Vol.1407
- 「甲斐駒 1999」/青柳 裕易会員
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「生涯の趣味」として、いつかは絵画の世界に戻ろうと思っておりましたが、歯科大卒業後は「生涯の職業」の方で時間に追われ、なおかつ血気盛んな多情多感の毎日、すっかり絵のことを忘れていました。
しかし人生50年目の区切りを迎え、後半生を充実して謳歌するには趣味が不可欠であると思い至り、地元金沢区の金安先生にお願いし、1999年4月、クワトロ会の末席に加えさせていただきました。
県歯広報委員を承っていたころ、鶴見の五十嵐先輩の紹介でクワトロ会の存在を知ってはおりましたが、錚々たる先生方とおつき合いできるのはありがたいことです。
「甲斐駒 1999」はクワトロ会入会後、初のスケッチ旅行での絵です。大学美術部以来、25年振りの油絵となりました。10月末に南アルプスのよく見える日野春で一泊しましたが、凜とした早朝の冷気に聳える甲斐駒は感動的でした。折悪しくひいていた鼻風邪は、もちろん悪化しました。
(著 本人)
Vol.1406
- 「二人モデルの光と影」/大津 優会員
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私が週に一度通っている油絵人物専科の教室では、月ごとにモデルもポーズのテーマも変わる。通常モデルは2人で、約20人あまりの生徒を2組にわけるように間隔を空け、独自にポーズをとる。
油絵を始めて12、3年経つが、ここ7、8年は30号のキャンバスに二人とも描くことにしている。離れているモデルを画面一杯に描くのだが、2人をどう組み合わせるかが難しく、月4回のうち、このために初回を丸々費やしてしまうこともままある。
左右にわかれたモデルを右左入れ換えたり、前後にしたり、上下に遠近をつけたり、頭を絞る。更に厄介なのは光である。広い教室なので光源が一つでなく複数であるので、人肌の微妙な明暗が2人に統一されないのだ。
そのまま描いたら絵を見る人には不自然に映るだろう。そこでいろいろ試みているが肌の色合い、凹凸等、ポーズにより実に難しい。この2つが目下私の最大の課題であり、描くことへの意欲を掻き立たせてくれる源でもある。
(著 本人)
Vol.1405
- 「初冬永平寺」/高山 尚文会員
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寺院独特の屋根の反り具合、渡り廊下外塀の瓦屋根の曲線、また手前中央部屋根瓦の一枚一枚等大変な思いで描いた記憶があります。
終わってみると全体のバランスなど気になるところばかりが目立ち困ったものです。
(著 本人)
Vol.1308
- 「火の鳥」/宮崎 満里子会員
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スラー、アンリマルタン、日本では岡鹿之助、高田誠などに代表される詩情豊かな点描画に魅せられて、一度はこの技法を用いて私も描いて見たいと思っておりました。
点描画はキャンバスの上での絵の具の混色を避けるために、先に置いた色の点が乾くのを待って、次の色の点を置くため時間がかかります。
20年程前に初めて静物を点描で描いたときも、夜間に6ヵ月くらいかかりました。
この絵は10年以上前に日本歯科評論の表紙に載せていただきました。今回は大分古い稚拙なものですが、そのころストラビンスキーの火の鳥をイメージして、レコードジャケットを、ポスターカラーを使用して描いたデザイン画です。
(著 本人)
Vol.1307
- 「Souvenirs de Paris-パリのおもいで」/矢島 初子会員
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紫のバラをはじめて見たとき、紫の光の色がふわっとまわりに漂っているように感じました。それは、芳わしき紫色の香水の香りかもしれません。それが、一月のまだ早い春の訪れを知らせるポエジーかもしれません。それからイメージが広がって色々な花が語りかけてきます。
そしてバラは、パリのバガテル公園で見た、あの良く手入れの行き届いた美しい庭園、オーストリアの山の上で風にそよそよと揺れていた名もない草花、そこでスケッチをしていたころの思い出、スペインで見た夏のひまわり畑など、花の中から透明な光とか、風とか音楽が聞こえてきます。
そのような雰囲気と心を綴じ込めて、これからも絵を描いていきたいと思っています。
(著 本人)
Vol.1306
- 「夕暮れのモンサンミッシェル」/福並 郷子会員
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モンサンミッシェルはフランス北部のノルマンディにある修道院の島です。昔の巡礼の人たちは引き潮のときに渡ったそうですが、潮が満ちてくるのがはやくて間に合わず、おぼれ死んだ人も居たようです。今では堤防のように一本道路ができて、バスでも自動車でも行けます。
島は岩山なのでふーふー言いながら昇って行きました。修道院の内部まで石段だらけなのです。ホテルから歩いて1時間くらいでしたが、島内は観光客でごった返していてとてもスケッチなどできません。
私が行った7月は朝から雨で夕方まで降っていました。もう少し島を近くから描きたいと思って、僅かな時間に堤防の一本道を歩いていきましたが間もなく怪しげな雲が出てきてどしゃぶりになってしまいました。埋立地の広い所で隠れる場所はありません。風もひどくてとても立ち上がれません。傘の中で風雨の止むのを待っていました。やっと止んだのでホテルへ帰りお風呂に入って温まることにしました。
(著 本人)
Vol.1305
- 「花」/藤井 義子会員
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磯子での開業に終止符を打ち、転居、身辺の変遷、身近な人たちとの別離、と慌しく過すうちに数年が過ぎていました。
気がつくと、張りつめて仕事に向かっていた緊張感のある日々が、昨日のような過去となった自分がそこにありました。過去に執着するわけではありませんが、この絵は「ふり向いた瞬間の自分の思い」を残しておこうと思い立って描いた自画像です。
風景を描きたくて「主体美術協会」の渡ヶ敷画伯に油絵を習い始め、先生指導による「きさらぎ会」展を、銀座、日本橋で開いて30年になります。先生は90歳になられ、お元気に画業にはげまれています。
最近は家でも描ける「花」を主題にすることが多くなりました。言葉では表現しきれない感情や体調が絵に表れてくるのに驚きながらキャンバスに向かっています。
(著 本人)
Vol.1304
- 「アミアンの街並み(フランス)」/月岡 きね子会員
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神奈川県歯科医師会のホームページが開設され、クワトロ会の先生方の絵画を順次掲載して下さる企画ができましたことは、私共にとりましては先生方を始め、画面を通して広く一般の方々にも見ていただける機会が得られ、何かと有意義なことと思います。
たまたま私の順番となり、掲載していただくこととなりましたが、さて何を出させていただこうかと迷いました結果、この絵はFDIが東京で開催されたときに出展したもので、かなり古いものですが、フランスのアミアンの街並みを描いたものです。
旅が好きな私は特にヨーロッパの街角や路地裏の風景に魅せられます。最近ではもっとモダンな抽象画を勉強し挑戦できたらと願っています。
(著 本人)
Vol.1303
- 「ある午後」/山本 加代会員
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夏も真近いある日の午後、憩いのひとときシャッターを切った。それは20年近く前のことであったけれど、描かれた画像は昨日のことの様に、何時も私の記憶に甦えっている。ひょっとしたら、私の家族の一員になっているかもしれないその人は、ある時風の様に私共の前から去っていった。
人と人との出逢いは、奇しくもあらゆる模索を重ねて、一つの結果にたどりつく。それは良くても悪くても全て過ぎさったものはもう戻らない。
この絵は1983年全日本歯科医師会絵画展に掲載されたものである。あれから私も年を重ねこの思い出を静かに埋めるべく人を介して、あれきりお逢いしていないその人に絵を送ったのである。その後、赤い小箱に入ったバカラの小猫をその人は私に送って下さった。
私は猫が好きだったから……。
時々、過ぎ去ったその日を思い出すたびに、今も私は小猫に話しかけているのである。
(著 本人)
Vol.1302
- 「オリエント急行の車窓から」/渡辺 久美子会員
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この絵は、私が初めてロンドンに旅をしたときのものです。その際乗ったオリエント急行の車窓から見た風景の中で、とてもイギリスらしいと感じたこのひとこまを絵にしたいと思い描きました。
その時同行したのは、長女夫婦と次女でした。
この絵を見ていると、オリエント急行のきれいで素敵な調度品で飾られた個室で、これも素敵なウェーターが運んでくれるシャンパンや料理をおいしくいただいたことや、車窓から眺めた美しい風景等が、心によみがえってきます。
当時次女が留学していた関係で、その後も数回当地を訪れましたが、私にとってこの最初の旅行が印象強く心に残っています。
自作の絵は、つぶしてしまいたいようなものが多い中で、これはいつまでも残しておきたいと思う絵の一つです。この絵を見ながら、またイギリスに行きたいなぁ、と思うこのごろです。
(著 本人)
Vol.1301
- 「CAMOGLIの海岸」/金安 治子会員
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「海外へスケッチ旅行に行きたい!」というのが私の念願なのですが、なかなかまとまった休暇も取れず、また、ツアー旅行では食事や買物など日程の制限があるため自由にスケッチができないので、個人旅行として行きたいと思うのですが、現在のところ自信がなく実現できずにいます。
そんな中、ツアーでリビエラ海岸を旅行中、何処の観光地でも出会う日本人観光客に逢うこともない、「CAMOGLI」へ立ち寄ることができ、ホテルのベランダより、この中世にタイムスリップしたような一隅の景色を目にした瞬間、「ああ、これは描いておかねば後悔するぞ!」と朝寝坊の私が早起きをして、朝食を抜いてやっとスケッチできた一枚の絵です。
ただし、あの雰囲気が描けたかどうかは疑問ですが。
(著 本人)
Vol.1212
- 「旭昇」/佐藤 正会員
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60年も昔、尋常小学校の本に、たしか「一島いまだ去らざるに一島更に現れ、雲も水も、金色に輝きて、美しさ言うばかしなし」とございました。
私は、瀬戸内海はそんなに美しい所かと太陽を見に行きました。
早暁5時、厳冬の東京湾口で火傷するほどカイロを貼り、鯛釣りの支度中の僅か数分の日の出。その太陽の演出に、いつしか仲間達も拝むようになりました。その時「西風が吹いたよう!!」船頭の声。青空に金銀の波しぶき、隣の船を見せないほどの大波涛がドドーンと船底をたたきました。
私と6名の釣友は防水着を寄せ合って港へ逃げ帰りました。
「チクショウ! 餌をおろしたとたん西が吹いた。」「誰かヘンに拝んだな。大きな鯛が釣れますようにって。」「俺じゃーない。」「ウヘェー寒い。お天道様には、絵がうまく描けますようにじゃないの。」「そうだ、熱燗と味噌汁、又日の出のオゴリときまった。わかったな!」ものごとご油断なく。日々御自愛下さいまして松樹千年のお年となさいますようお祈り申し上げます。
(著 本人)
Vol.1211
- 「牧場の風景」/上田 譲会員
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私が絵を描きたくなったのは、その昔北海道旅行に行ったのがきっかけのように思う。あの雄大な景色と、牧場ののんびりとした風景、それに加えて美しい空、美しい海、どれをとっても唯、見るだけでは勿体ないと思い、描いたこともない油絵を始めたのが、およそ30年前のことである。この絵はオーホーツク海を背景に乳牛の牧場風景を描いたものである。
この景色は昭和48年8月に旅行したときのもので、以来北海道には6回程行ったが、油絵より写真で保存している。
もう少し時間に余裕ができたらキャンバスに塗り替えようと思っている。
(著 本人)
Vol.1210
- 「10月高原の池」/北川 礼太郎会員
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この絵は志賀高原の木戸池、盛夏の風景です。スキーのメッカ、オリンピックも行われた起伏のある所ですが、夏にドライブでスーッと通過してしまうには、勿体ない趣きがあります。写真や絵には手頃な大きさの池や沼が幾つかあり、また温泉も多々あるのでトレッキングが楽しめます。
さて、此の池には何回となく行き、今年も10月上旬に紅葉の高原を描きにいって来たばかりです。
私は水彩を主に描いているのですが、これは油彩です。絵の右側に岳樺や白樺が連なり、樹下に熊笹が一面に生い繁って、その向こうに道路がちらちらと見え、水面には樹影が映っているわけです。
作者としては、高原の水面を渉る清澄な気を描きたかったのですが、如何なものでしょうか……。
(著 本人)
Vol.1209
- 「港バタビヤ茶の香り招く芭蕉の並木路」/久和 総一郎会員
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昔私が軍隊に入ってスマトラに居たころ、酒保で夕方になると、このレコードをかけていました。インドネシアがまだオランダ領だったとき、ジャワのジャカルタをバタビヤと言いました。オランダはジャワのお茶を運び出すため、運河をつくりバタビヤ港の近くに、この鉄の跳ね橋を架けました。
ジャカルタは、今はもうインドネシア第一の都市となり、高層ビルが立ち並び、車がやたらに多くなり芭蕉の並木路など、とっくになくなってしまいました。街の中には、今この跳ね橋だけが残っています。この橋は古くなっても人だけは渡れます。頭の上に荷物を乗せた現地の人がこの橋を渡るのを見ると、とてもぴったりつり合って嬉しくなります。
橋からもっと港寄りに残る古い建物を持ってきてこんな画をつくりました。
(著 本人)
Vol.1208
- 「塩原の街道」/川島 文雄会員
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塩原の渓流を美しい色彩で表現する刑部人という有名な画家がいたが、スケッチでその画家がいつも使っていた旅館に、偶然泊まったことがある。宿の奥さんは刑部画伯がよくスケッチする小太郎ガ淵やその他の場所を教えてくれた。画伯は宿の主人の弟の運転する車でスケッチに行ったという。
私は塩原には何度も通った。クワトロ会でも数年前、一泊スケッチ旅行をしている。表題の絵は、小太郎ガ淵のある渓流の素晴らしい景観に比べたら何の変哲もない風景であるが、いつも通る度に気になっていた場所である。
この絵は初夏のもので、向かいの山の距離を隔てた山肌の柔らかい感じをうまく表現できないものかとマチエール用のシェルを使ってアクリルで描いてみたものです。何気ない平穏な田舎の山村の情景を汲み取っていただければ幸いである。
(著 本人)
Vol.1207
- 「公園」/熊坂 和夫会員
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寒い冬も過ぎ、また一重咲の桜も葉桜となり、八重桜の季節になった或る日、友人に誘われて、散歩を兼ねて近くの根岸の森林公園を訪ねたときの絵です。
休日でもないのに人影もまばらで、家族連れの人々が、三、三、五、五あちらこちらに見られるくらい。草木も緑色が萌えて青々となりつつあり、とても静かでのどかな日だった。そんな様子と雰囲気が現せないかと筆をとったときの絵です。
花ぐもりで日の光も淡く、毎々せかせかと仕事をして、イライラしてる気分に安らぎを与えてくれていました。たまにはこんな時間もあっていいのではないかと、久しぶりにのんびりした気分を絵の中に、広々とした緑と空気ののどかさが現せていればいいなと感じ、そのとき友人とその家族たちと囲んだ、草上の昼食の味は何とも云えない美味でもあった。
(著 本人)
Vol.1206
- 「イタリア庭園にて」/関 幸一会員
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山手大通りを根岸の方へ行き、地蔵坂を登ったあたりに、イタリア庭園前のバス停があり、その近くに目的の庭園があった。私も山手界隈には何度となく行ったことがあるが、今回のクワトロスケッチ会の選定場所は初めてで知らなかった。
イタリア大使館のある所で、近くにはグラフ18番館もあり、緑の樹木と目がさめるような芝生と数々の花に囲まれたこの庭園と、この絵にはないが各建物の玄関前に大きな鉢植えに赤・白・黄・紫の花が心地よい。大使館の喫茶店に入りコーヒーを飲みながら前の庭園を見る。黄と橙色の小さな花の一面の花壇が見える。
散策する人、スケッチする人、写真を撮る人、犬と共に歩いている人などなど、それを通して、横浜市街の俯瞰図が一望に見え眼下にJR根岸線の線路があり電車が走っていた。遠望にはみなと未来のランドマークタワー附近も目に入り、こういう場所もあったのかとあらためて見直した次第で有意義な一日であった。
(著 本人)
Vol.1205
- 「桃の花の咲く頃」/山田 哲司会員
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「山も畑も一面ピンクの絨毯」を期待して、4月半ばの山梨を訪れるようになって5年になります。しかしお花見はタイミングの難しいもの。早すぎたり遅かったり、なかなか思うようにいきません。
主人がこの絵を描いた年は、一宮につくなり、桃の枝に若葉が並んでいるのを見てびっくり、遅かった! と、がっかりしましたが、山の少し高い所に、まるで待ってくれていたかのように咲いている、満開の桃の花畑を見つけ、とても嬉しかったのを思い出します。
スケッチをし、見晴らしのよい公園で孫たちと遊び、名物のほうとうの昼食、そして帰りに温泉に入るというのが、恒例となっていました。でき上がったこの絵をクワトロ会に出品し、その年の秋に主人は他界してしまいましたので、私たちにとって思い出の深い最後の作品となりました。
今年もまた4月13日に、全山、桃花満開の一宮へ行ってまいりました。勿論、主人も写真参加いたしました。
(著 山田 秀子)