歯周病とカンジダ

歯周病病原微生物としてカンジダが登場したのは数年前のことであり 、神奈川県のある開業歯科医が「歯周病は口腔カンジダ症の一病 型であり、その治療には抗真菌剤の使用が有効である」と提唱したのが発端である。
彼の提唱を支持する開業歯科医が現れ、電子情報社会の情報伝播の速さも手伝い歯周病・カンジダ・抗真菌剤というキーワードは瞬く間に歯科医療現場に広まり、さらにこの事を朝日新聞、週刊現代が取り上げるなどマスコミが絡んだため、社会にも歯周病に対する誤った認識を与えた。
 歯周病カンジダ病原説、抗真菌剤の有効説に対して、日本歯周病学会は当然の事ながら関心すら示さなかった。しかし、歯科臨床の現場に、また社会に少なからず混乱がある事を認識した学会は、これらに対応する事になり、その結果が「正しい歯周治療を目指してー抗真菌剤の使用を批判するー」というタイトルの論文である。

この論文別刷は全会員に配布したので、すでにお読み頂いていると思う。権威ある学会の見解であるので歯周病に対しての誤った認識は解決したものと考えていたところ、再び神奈川県の別の開業歯科医が歯科商業誌に歯周病カンジダ病原説を支持し、抗真菌剤の有効性を掲載した。さらにこれをまた朝日新聞が平成13年11月20日付の夕刊一面に「歯周病退治"うがい薬"で、歯磨きよりも抗かび剤が有効」という見出しで取り上げた。対照実験や対照観察のない実験や調査はいくらでも新知見がでるという事を新聞社は認識し、慎重に取り扱ってもらいたい。
 感染の成立には微生物の増殖が必要であり、発症には増殖した微生物の菌体成分や産生物質が正常な組織・細胞を破壊し、その機能を障害する事が条件となる。現在、歯周病関連微生物として挙げられている微生物は、すべて歯周組織病変の成立を説明できる内毒素、蛋白分解酵素、免疫抑制因子などのいずれかが証明されている。すなわちEBMに基づいた証明がなされている。しかしカンジダを歯周病の原因微生物として提唱する彼らのEBMはきわめて曖昧である。
 彼らは歯周病カンジダ病原説の根拠の一つとして口腔内からカンジダを分離している。しかしカンジダは口腔常在微生物であるので、口腔の多くの場所からカンジダが分離されるのは当り前と言わざるを得ない。彼らの一人は歯周病病変部に存在するカンジダを電顕像として示している。確かに病変部に存在する微生物は疾患との関係において重要である。 喀痰から結核菌が証明されれば結核症であり、尿道に淋菌が証明されれば淋病である。しかし、これは外因感染の場合である。
 口腔の感染症はほとんど内因感染の形態をとるため、疾患と微生物の因果関係は明瞭でない。そのため病原性を証明する手段として、微生物の生物化学的性状の分析からアプローチしているのである。従って、内因感染の場合は病巣部に微生物が存在したからといって原因微生物であるという根拠は全くないわけである。むしろ口腔には多種多様の微生物が常在するので、病巣部にどの様な種の微生物が存在したとしてもそれは自然なのである。
 たとえ超薄切片標本で歯肉内にカンジダが侵入した電顕写真を示したとしても、口腔感染症では完全な病原性の証明にならない。組織内に微生物が侵入する事は、その微生物が組織を破壊する酵素を産生することであるから、病原性の証拠とも言える。しかし、口腔感染症では多種多様の微生物が常在し、それらは病変の場にも存在するので、他の微生物が産生した蛋白分解酵素などで組織が破壊され、そこに疾患とは関連のない微生物が侵入する事も否定できないのである。
他科からの報告を含め、カンジダの好分布部位をみても酸性の場から高頻度に検出されている。かつて、カンジダがう蝕病原微生物として疑われた事があった。
オーランドらによる無菌動物を用いての実験う蝕が成立するまで、う蝕発生の主要微生物としてはラクトバチルス・アシドフィールスなど、強い酸性の環境で増殖する微生物が注目されていた。カンジダがう蝕病原微生物として取り上げられた理由も酸性の場からの高検出率であった。
 臨床的感覚から判断しても、う蝕多発者は歯周病になりにくく逆もまた言える。すなわち歯周病病変の場は明確なデータは明示できないが、う蝕病変の場ほど酸性とは言えない。むしろ歯周病の原因となる歯石の形成などから考察すれば、よりアルカリに近い場と思われる。すなわち歯肉溝はカンジダの増殖には適さない場である。
微生物の性状の一つである酸素要求性をみてもカンジダは好気性であり、低い酸化還元電位の場である歯肉溝で微生物としての活性を充分に発揮するとは考えにくい。また歯周組織の温度は体温と同じであり、25℃〜30℃を発育至摘温度とするカンジダが旺盛に発育増殖し、病原性を発揮するとも考えにくい。
カンジダの定着性に関する報告をみても、カンジダはストレプトコッカスなどグラム陽性球菌とは共凝集し口腔粘膜や義歯表面に定着されることは示唆されているが、歯周病原微生物、ポルフィロモナス・ギンギバルスと共凝集し、歯肉溝に定着する事は証明されていない。
口腔内には何種かのカンジダが常在しているが、カンジダ症の原因となるのはカンジダ・アルビカンスという種であり、常在微生物の中では劣性菌群に属している。そのため口腔内にみられるカンジダ症は通常乳幼児を除けば結核、糖尿病、悪性腫瘍などの消耗性疾患に随伴してみられたり、抗生剤やステロイド剤服用による菌交代症、義歯性口内炎、あるいは高齢者、HIV感染などによる免疫能低下に伴って発症するなどに限られていて、健常者にはまず見られない疾患である。この様な病原性発揮条件をもつカンジダが、歯周組織以外すべて健康である個体に病原性を発揮するという事は考えにくい。
彼らの一人は歯周病カンジダ病原説を提唱しながら、急性症状のある場合は経口抗生物質を投与するという。
抗生物質の服用が菌交代現象としてカンジダ症を誘発する事は、定説であるにもかかわらず、歯周病カンジダ病原説を提唱する者が抗生物質を投与する理由が理解できない。
抗生物質の投与で急性症状が軽快するならば歯周病原因微生物はカンジダではないのか?
使用する抗生物質はアジスロマイシン(ジスロマック○R)というニューマクロライドであると述べている。
マクロライドは口腔組織への移行がよい。ペニシリンやセフェムはほとんど唾液中に移行しないが、特にニューマクロライドは血中濃度より唾液濃度が高くなるので、急性の歯周病に投与する歯科医は多い。そして良い結果を得ている。しかしカンジダを意識して投与するのではなく、これまで取り上げられている歯周病病原微生物をターゲットとして投与しているのである。何故ならば抗生剤にはカンジダに対し、抗菌性を示さないという事実があるからである。
歯科における顕微鏡検査についても、彼の掲載文の中で「位相差顕微鏡は、その場で生きた細菌などを見られるのは確かであるが、位相差顕微鏡の必要性は低下しているので、顕微鏡を購入するならば普通の光学顕微鏡の購入をおすすめする」と述べている。染色した標本での形態観察で十分であるという意味であろうか?
位相差顕微鏡でもコンデンサー、対物レンズを切り換えれば彼の言うところの普通の光学顕微鏡であり、染色標本の観察はできるのである。
顕微鏡で真菌が観察されてもカンジダ・アルビカンスとは言えないと主張しているが、カンジダ・アルビカンスを同定するにはスライドカルチャーを行い、その形態的特徴を調べるのが通法である。カンジダ・アルビカンスの形態的特徴は仮性菌子、分芽胞子そして厚膜胞子の形成であり、この特徴を観察するためには位相差顕微鏡は是非必要である(写真参照)。
彼らの提唱によると、抗真菌剤「アムホテリシンB」の含嗽により歯周症状が消失したという。
含嗽は口腔内の微生物量を減らし、また強くブクブクすればするほど歯周組織は液体の刺激を受け血流が良くなるため、歯周治療の有効な手段である。通常の含嗽剤、今流行の電解水はもちろん水道水による含嗽でさえ歯周症状が消失する例は少なくない。
微生物疾患であるう蝕、歯周病の予防にできるだけ抗菌剤を使用しないで、歯磨きや除石など機械的なプラークコントロールを推奨するのは、正常な口腔常在微生物叢のバランスを崩さずに微生物の絶対量を減らす事が重要だからである。
正常な常在微生物叢のバランスの崩壊は内因感染成立の一因子になることを再確認すべきである。そして意味のない薬剤の使用は効果がないばかりでなく、副作用などを含めて、より慎重に考えるべきである。
いずれにしても『歯周病は口腔カンジダ症の一病型である』ことを否定する。
(文責 県歯専務理事 高橋紀樹)